両側性口唇口蓋裂の14歳息子の治療記録です。
上の歯茎の裂(骨のない部分)に骨を作るために行う、骨移植手術。
口蓋裂治療では避けては通れない大きな手術です。
そのお話をまとめました。
口蓋裂息子のお話の続きです
多分多くの口蓋裂のお子さんが、治療上一番大きな手術ですって説明されるのが骨移植だと思います(少なくともうちはそうでした)。
骨移植は、本来なら骨切術と同時に行う手術で、片側口蓋裂の子であれば下あごから軟骨を取るやら取らんやら。
しかも手術が二回に分かれてるもんやから、ちょっと参考になり辛いかもしれないですが、気にせずれつごー。
目次(クリックするとその項目に飛びます)
骨切術から腸骨移植術までは約4カ月空いた
まず、小学5年生の10月に骨切術をしました。
そして、半年後に腸骨を移植しようとなっていたのですが、それが私はどうしても嫌だった。
10月に手術をしたら半年後は4月です。
長期休暇は埋まってるので、するなら3月か4月の学校のある日。
3月は誕生日もあるし学年が終わる時期だし、4月なんか6年生になってすぐ。
がんばっていた少年野球も最後の年のオンシーズン。
今回の手術は食事制限に加えて運動制限もある。
わりとはじめてくらい医師に反抗しました。
だいたい手術が二回になるって始めからわかってたなら一回目を10月にすることもなかったしそれが直前までわからんとかどういうことやねんって思うし長期休暇はいっぱいですってそれ自分とこが手術の予定立てへんかったからやろって
で、うちの病院(これ通ってる人すぐわかると思うけど)、手術はめっちゃ有名な教授がするんですがなんせその教授は手術に追いまくられていて、普段は別の医師が診察します。
そして最後の最後にこの教授が現れ、いろいろ決定するのです。
そしてこのシステムをぜひ覚えておいてくださいませ。
次の手術も一発逆転かまされます
とはいえ私も息子もこの教授がすごく好きなので、できれば最後の息子の手術までしてほしい。
生まれたときからこの教授に手術をしてもらっているので、あと数年頑張ってほしい多分けっこうなお年やけど。
…てどんどん話それました。
だからいろいろな理由から1月2月にしてって受診の時に頼むけど、決定権は教授しかないから、ラスボスとして現れた教授に、意を決してお願いしたら
「えーーーー。絶対?」て聞かれた受けるわマジで。
「できれば絶対」と、もはや大人の日本語ではない返しをした後、口の中を確認され
「まあいけるやろ」ってことで1月末に腸骨移植することになりました。
先いいますし先いうてますけど、この手術後一部の骨は生着せず、再移植となります。
半年待てばよかったんかなって思うけど、もしあの時半年おいて、いろんなことを我慢してその上で骨消えてたらもっと絶望したと思うので、これで良かったんでしょう。
腸骨移植術
そして1月。いよいよ腸骨手術のための入院です。
歯茎ブラブラで過ごした4カ月弱、全然体重減らんかったわさすがか。
ここで思い出していただきたいのが、前回の手術の時は息子にはそれまでの記憶がないので、口車に乗せに乗せまくり、このハッピーボーイめ!!でご入院いただきましたが、さすがに今回はそうもいかなかった。
嫌な記憶怖かった記憶をがっつり残したままのこの手術、お母さんが最終的にどんなセリフで息子を説得したかと言いますと
この手術したら一か月運動できひんから大っ嫌いなマラソン堂々と休めるで
これ。
息子はマラソンが嫌いなのですだっておデブなんだもんいや野球少年でもあるんだけど。
毎年気が重いマラソンの授業を休んでの上げ膳据え膳ライフ。
言いました。
あ、ちなみに前回手術室で麻酔抵抗して暴れたから、この手術の時は病室で先に軽いの打っていったけどその時も暴れ倒してけっこううざいおばはんの看護師にぶちぎれられてました。←
両側性口唇口蓋裂 腸骨移植術直後の運動と食事の注意点
さて長めの手術が終わって帰ってきましたあたりはすっかり夜でした。
この時は右の腸骨から骨を取って、歯茎の両方の裂に埋めました。
手術前は術後3日経鼻栄養と聞いていましたが、予定より長く手術をして帰ってきた息子は
・皮膚が足りなくて人工皮膚を足しました
・なので術後の経鼻栄養を5日にのばします
言われたのよね今思い出したこの時からもう黄色信号灯ってたんやん!!
とりあえず麻酔が覚めた瞬間に
と言って息子を泣かせええ年しして一緒に付き添ってた母親にしこたま怒られましたえへ。
で、次の日から一応馬蹄式の歩行器を使って歩行練習を開始するんですが
これね
痛い怖いしんどいと全く動きませんでしたおい野球少年!!
二日くらい歩かなかったと思います。
間違いなくメンタル的な問題で。
だって歩きだしたらガンガン動いてたもん。
そして手術の次の日の流動食は吐きそうだの無理だのいうて困らせましたが、最後二日は
って勝手に流動食の速度マックスにしてました子供ってスゴイデスネ(棒)。
ようやく出た食事一回目は私忘れもしません。
ヤクルト重湯具のない味噌汁牛乳つまりはすべて液体!!
さすがにかわいそうなので、コーンスープを持って行ったり、後半はプリンを買って持って行ったりしていました。
ちょうど2週間くらい入院したかな?
退院後は前回と同じ。しばらくはやわらかいごはんで給食ははさみ持参。
なのですが。
これね、次の同じ手術の時もっともっともっと食事の制限厳しくて大変だったんです。
運動制限もこの時は一か月だけ。次はもっと長かった。
時代なのかうちが次の手術は二回目だったからか慎重になったのかそれはわかりませんが、この6回目の手術に関してはそんな感じでした。
以上が腸骨の移植手術です。
右の腰には(今は左もやけど)やっぱり傷は残ってます。
これで大きな手術は終わったやれやれだぜ!!
そう思ってたあの冬に乾杯。
ここまででようやく過去の手術のお話が終わりました。
ここからは割とリアルタイムの話なので、ようやく自信をもって(おい)書けると思います。